今週は東オホーツクの各地では様々なお祭が開催されています。
全市町村単位の大きなお祭から集落のお祭など多彩なお祭が展開されています。
こうした東オホーツクのお祭に参加しているというのも面白いかもしれません。
今回は21日・22日に開催された斜里町のねぷたについて紹介します。
斜里町でねぷたを見てきました。
ねぷたといえば、青森県弘前市が本家本元ですが、なぜ斜里町で「ねぷた」が行われているのか?
斜里と青森とのつながりは江戸時代に遡るそうです。
江戸幕府は北方警備の必要性から津軽藩士に斜里地方の警備を命じました。
1807年のことです。
1792年にロシアの使節ラクスマンが根室に来て通商を求めた以降の動きと連動しています。
その年の7月から8月に津軽藩士約100名が斜里に派遣されました。
しかし、寒さと栄養失調で病人が続出し、72名の津軽藩士が死亡するという記録が残っています。
このような過去の事実に基づき、斜里町では、1973年に津軽藩殉難慰霊碑を建てました。
それ以降毎年慰霊祭が開催され、それがきっかけとなり、1983年に弘前市と斜里町は友好都市となりました。これを記念して、この年の7月から斜里町でねぷたが開催されるようになりました。
ねぷたのパレードは7時からでしたが、出発が遅くなり、現地に到着したのは8時近く。
それでも10数台のねぷたを見ることができました。
子どもねぷたなどもありました。トトロなどもありました。
※青森は「ねぶた」で、弘前は「ねぷた」になります。